おじさんになると、自分が社会人だから、社会人を主体とした話をしがちになる。社会に出てからが人生の本番であって学生時代はその準備期間にすぎないとでも言いたげになる。学生時代にそんなふうだと社会に出てから苦労する〜みたいな論調になる。
そういうロジックの人は、幼稚園児には小学校が本番だっていうし、小学生には中学校で勉強に遅れるぞみたいにいうし、高校では大学受験を正当化するためにいろんな不合理を押し付けると思う。 東大に入るのを人生のゴールにしないで、そこで何をしたいかを目標にしろみたいにも言いがちだと思う。
東大に入るのが夢でも問題ないとおもう、その先に何をするのかを目標にしろつっても、早かれ遅かれ目標達成したら次の目標立てなきゃならんだけだし、人生は連続していていつか死ぬ
— Issei Naruta (@mirakui) August 19, 2011
東大、行ったことないけど、東大に入るのを目標にして生きることにどういう問題があるのかは知らない。そういう学生が増えると東大教員の負担になって、他の学生に迷惑がかかったり、税金が無駄になったりするっていう社会的な損失があるからやめろっていう観点の話なら分からないでもないけど、あたかも、俺はお前の将来が心配だから、お前はお前の人生のために、東大に入ること自体を目標にせず、目標は東大に入った後の将来に置けみたいなことになってるのが多い。
いろいろな考え方があると思うけど、未来が本番で現在は仮の姿であるみたいな考え方は、僕はあまり好きじゃない。人生の連続性を無視してると思う。時間がたって、今想定している未来になったとしても、そのときはその時点が現在になっている。未来は現在の連続によってたどり着くものだし、いつだって現在を生き続けるしかないのに、現在の幸福を軽視するのは意味がわからない。幸福な人生を望むなら、いまこの時点において幸福を得ることを知らなければ、いつまでたっても幸福を感じることはない。
将来苦労するから今頑張れっていうのは、まっとうな理屈だとは思うけど、今をどの程度犠牲にして将来の蓄えにするかというのは、その人の人生観の話だから、押し付けるのはよくない。 個人的には、80%くらいの力で今を楽しんで、20%の力で将来のために投資するというくらいのバランスが自分に合ってる。本当は100%いまを楽しんで、投資とかだるいからやりたくないのが本心だけど、一年後も楽しんで暮らすにはちょっとずつ投資しないとまずいということを経験的に分かってるので、20%くらいならやってもいいかと思ってやってる。
僕は努力は嫌いなので、まったく楽しめないような努力みたいな、ひたすらだるいことをしないとたどり着けないような将来は、本当に望んでいる将来ではないだろうから、目指さないようにしてる。過程を少しも楽しめないような目標設定は、人生の連続性という観点においては、本末転倒していると思う。たとえば、俺は外科医になりたくてしょうがないんだけど絶対に血は見たくないし研修もしたくないんだぜっていう人がいたら、目標が矛盾しているし、外科医に向いてないと思う。いくつかある好きなことのうちの、どれを続けると、1年後にはどう楽しくなれるのかっていう選択をするのが健康的だと思う。
もちろん、本当に目指したい目標なのに、しんどすぎて割にあわない努力をしないとそこに辿りつけないという類の努力があることは知ってる。甲子園出場のための練習とかがそうだと思う。一瞬のカタルシスを得るために何年も血を吐いて努力するし、達成されたその後は死んでもいいみたいな生き方もあると思うし、それはそれで悪くない人生観だと思う。どんな代償を支払っても達成したい目標を持てるのは、誰にでもできるわけじゃないし、それだけで素晴らしいことだと思う。
人間は、かならずいつか死ぬし、死ぬまでの時間をどう使うかは、その人に決める権利があるし、その人以外が決めたり押し付けたりするのは人権に関わる問題だと考えてる。
実はこの文章は、学生の人向けにとおもって書き始めてる。 お前は将来どうなりたいんだみたいな話、学生の人は大人に言われてると思う。僕も学生の頃から言われ続けてる。ネタバレをすると、学生のみなさんが社会人になったとしてもそういう大人の出現は終わることがないから、話半分にきいておいて、今その時を必死に生きるのがいいと思う。僕の場合でいうと、お前は将来どうするんだっていうのは一部上場企業の管理職になった今でも上に言われ続けてるし、多分もっと出世しても言われ続けると思う。もちろんマネジメントの手段としてそういうことをしないといけないのも理解しているけど。
学生の頃、大人になってもパソコン触ってたいっていう一心でワイはエンジニアになるんやと思ってパソコンしてたらエンジニアになれたけど、2014年の僕の立場やそれ以上を目標として努力してきたわけじゃなく、好きなことをひたすらやってきたらこうなってた。好きなプログラミングやり続けるのはまったく嫌じゃなかったし、努力を努力として感じなかった。たまたま好きなことが職業につながっていてラッキーだったとは思うけど(プログラミングと同じくらい、小説書くのも好きだったし、ワイは小説家になるんやって教授に啖呵きって大学辞めかけたけど、もし大学辞めてそっちで頑張ってたら今頃はひどい目にあってた可能性が高そう)。
何を言いたかったかというと、もしあなたが学生で、社会に出てからが人生の本番みたいな理屈を出してくるおじさんがやってきたら注意したほうがいい。人生の本番は、人生のどの瞬間においても、常にその瞬間にしかない。 若者には、訳知り顔のおじさんが現れて将来が云々とか言われたら話半分にして、いま目の前にある問題にどう取り組むかっていうところに全力になって欲しい。いまを力いっぱい生きることが確実に将来の力になるし、うまくいかなかったとしても、自分の全力を出し尽くしたという経験は確実に将来の自分を助けるはず。 世の中の成功者が言うような、遠い目標を立てて努力しまくって世界に出ろビッグになれカネを掴めみたいな話は、ビッグになりたくてしょうがない人がマネすればいいと思う。人に言われたからってビッグを志す必要ない。自分の本心と向き合って、自分にとって楽しくて成長できる分野を見つけることのほうが、多くの人の人生にとって役立つと思う。
おじさんになった僕は、若者との飲み会とかの場で、このような教訓めいたことを言って萎縮させないように気をつけていきたい。 おじさんからは以上です。